◆麹(こうじ)の報酬◆

 梅雨明けの昼下がり、男が馴染みの無い味噌屋で味噌と醤油の実(しょいのみ)麹を
注文すると初めて店番を任せられたのか十四、五才の娘は「えっ?」と首を傾(かし)げた。
客が「こうじ、しょいのみこうじ」とゆっくり念を押すと、了解したのか「暫くお待ち下さい」と
たどたどしく言って奥に消えた。
 入れ替わりにこの店の隠居がぐい飲みを持って現れ「一杯どぎゃんですか」と言う。
客は不調法だからと断るが「甘酒ですけん」と勧める。それではと口に含むと生暖かいが
これが美味い。
馳走になってだんまりも何だと土間の椅子から周りのくすんだ壁に話の糸口を探すと、
時代がかった柱時計の横にお城復元整備の寄付を募った役所からの感謝状が掛けてある。
城下には裕福な商家も有るものだと客は思った。

 「お城の他に石垣も何箇所か扱いよるですね」と切り出すと、隠居は「そるが出るとです」
と言う。「石垣から骨が・・・その度に工事ば止めて供養ばしよるとです」と言う。
暗がりの土間でうつむき加減の隠居の顔は背後のまばゆい陽光のせいでよくは見えない。
 あの武者返しの石組みの最中に幾人もが死んだのだ。そう言えば城内の井戸や抜け道の
苦役に駆られ、工事の代価など支払われることもなく秘密保全を楯にあやめられた人々の塚
だという山伏塚が近くにもある。
 こき使った挙句あやめた側も、塚でも建てて弔わないことには気の休まる時も無かっただろう
と隠居は言った。「今でもとりわけ暑いこんな日は、弔われ、鎮められた怨霊も“こうじ”という
言葉を聞いただけで昔の無料(ただ)働きを思い出すのか、山伏姿で出て来ては誰彼構わず
“工事のお代、工事のお代”とせがむらしい」そう言うと背を向けた。
 客はたかが甘酒でやけに火照(ほて)る自分の体に戸惑いながら朦朧とした意識で馬鹿な事
を言って立ち去る隠居を見やった。

 土間の時計が時を刻んだ。待ち兼ねてた娘は目覚めた客に気付くとためらいがちに「味噌が
二キロで千四百円。それと・・・」と言い淀む。
客はまだボーッと上の空でそれを聞きつつ、ある気配にひょっと顔を上げると娘の後ろに白装束
の山伏がいる。その山伏が誰に言うでもなく恨みがましい声で「こうじのお代ば忘れんで〜」と
言った。客は悲鳴を上げんばかりの顔付きで金を払い荷物と釣銭を掴むが早いか、そそくさ、
ふらふら飛び出した。
「じいちゃん・・・!」娘は呆気にとられた顔のまま祖父を見た。
隠居は「甘酒でまだ酔っぱろとらす」と孫娘を見てちょっと笑った。

 若い頃から仕込みには決まって袖を通した白装束が今も隠居の気を引き締める。久しぶりに
蔵で一汗掻く気になった。一汗掻けばあの客に勧めた“球磨焼酎”で割った甘酒がより
いっそう美味かろう。

        醤油の実は暑い季節の箸休め。 粟飯、醤油の実、塩鰯。
      この夏お客様が少しでも涼しく健やかであらせられますように。
      「醤油の実お見舞い申し上げます」